和暦と西暦ってなにかとごっちゃになってしまいますよね。
また、明治・大正・昭和は特に和暦・西暦で何年まで続いているのかはっきり覚えていないという人も多いはず。
明治・大正・昭和は何年まで?
初めに結論から言うと、
- 明治 明治元年~明治45年
【1868年~1912年】 - 大正 大正元年~大正15年
【1912年~1926年】 - 昭和 昭和元年~昭和64年
【1926年~1989年】
といった感じです。平成は1989年から。
さらに詳しく!何月何日まで?
普段はあまり気にしませんが何月何日まで、と細かい日付が必要になることもありますよね。
何年何月何日までか、はこんなかんじです。
- 明治
【1868年1月25日~1912年7月30日】 - 大正
【1912年7月30日~1926年12月25日】 - 昭和
【1926年12月25日~1989年1月7日】
明治時代について、改元の詔書が出されたのは1868年10月23日(慶応4年9月8日)でしたが、その年の旧暦1月1日にさかのぼり、その日を明治元年をするという風に定めています。
なので、法律上では【1868年1月25日】からということになっています。
でも実際に「明治時代」というのが始まったのは、詔書(正式な書類)の【1868年9月8日】ということですね。ややこしや。
明治時代の前は?
日本史の勉強をしていると、何かと西暦とともに和暦も出てきて、覚えざるをえません。
しかし日本史の勉強をしたことのない人は、「明治の前って何? 江戸?」と不思議に思うことがあるそうです。
日本の元号というと「明治」の前は「慶応」、その前が「元治」です。
和暦ってそもそも何?
和暦(日本の元号)は大化の改新(645年)から「大化」と使われ始めたのが最初と言われています。
「いつからにするか」ということについては基本的には朝廷側が定め、時代によっては武家が元号を定めるのに介入していたこともあります。
かつては何か大きな出来事(多くが縁起の悪い出来事)があるたびに元号を変えていました。
例えば明治天皇のまえは孝明天皇が在位していましたが、この時には下のように元号が変わっています。()は期間年数。
嘉永(7年)・安政(7年)・万延(2年)・文久(4年)・元治(2年)・慶応(4年)
この内いくつかの改元(元号を変えること)の理由を見てみると
- 「嘉永」 孝明天皇が即位したことをきっかけ
- 「安政」 内裏の火事・大地震・黒船来航などの災難により
- 「万延」 江戸城の火事・桜田門外の変など災難により
という風になっています。
天皇即位以外では火事や地震、飢饉、疫病、動乱などが理由となることが多いですが、江戸時代には下のような(こじつけのような?)改元もあります。
- 「正保」が「焼亡」に繋がると批判が起きたため。(正保→慶安)
- 後桃園天皇即位・火事風水害が「明和九年(めいわくねん-迷惑年)」のせいとされたため。(明和→安延)
現在のように天皇一代につきひとつの元号を用いるようになったのは明治時代を始めた時に「一世一元の詔」を発布したのが始まりです。
1979年には元号法という法律で「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」という風に定められています。
終わりに
明治や大正・昭和は何年何月何日までか、ということと、ちょっとした元号についての豆知識を見てきました!
意外と必要になる和暦や元号、迷った時などに参考にしてみてくださいな。
まとめ
- 明治 明治元年~明治45年
【1868年~1912年】
- 大正 大正元年~大正15年
【1912年~1926年】
- 昭和 昭和元年~昭和64年
【1926年~1989年】
- 明治
【1868年1月25日~1912年7月30日】
- 大正
【1912年7月30日~1926年12月25日】
- 昭和
【1926年12月25日~1989年1月7日】
【1868年~1912年】
【1912年~1926年】
【1926年~1989年】
【1868年1月25日~1912年7月30日】
【1912年7月30日~1926年12月25日】
【1926年12月25日~1989年1月7日】